【M&A事例】湘南・茅ヶ崎の老舗豆腐製造販売会社「大豆屋」創業者 蓮見哲夫氏 インタビュー

神奈川県の茅ヶ崎で豆腐の製造販売を営む有限会社大豆屋。1986年の創業以来、国産大豆100%にこだわった美味しく安心・安全な豆腐作りを続け、地元湘南で40年近く愛されてきました。しかし、後継者不在の状態が続き、廃業も視野に入れながら第三者への事業承継を検討し、このたび会社を譲渡することが決まりました。今回は、創業者である蓮見氏に創業からの思いやこだわり、事業承継を検討するうえでの考えなど、事業の立ち上げから譲渡に至るまでのストーリーを伺いました。

▼本記事はこちらのインタビュー動画を書き起こしたものです。

 

ー廃業か? 事業承継か?

家族で全員でやってきた。もう本当に何ですか、その力ですかね。ですから、それが今でもうちの妻が来てやってますけども、それが中心になって出来たというのは、これはもう紛れもない事実ですね。そういう点では感謝しています。

 

ー今回の事業承継についてご家族は?

喜んでいます。はい。お祝いしてもらいました。

(創業したのが)36,7歳ですね。1986年か、もう本当に昔のことなので。そうですね。豆腐作りが面白いと思ったのと、それから実は兄がですね、大腸がんで亡くなったりしてまして、この食べ物に対する興味は元々あったんですね。

 

ー大豆屋のこだわりを教えてください

そうですね。国産原料でということは、ずっと自分の中にありましたので。例えば大豆だけではなくて、揚げ物に使う油も国産の菜種から絞る油を使うとか。

それから、にがりもですね。晴れた日は御存じのように大島がここから見えるんですけども。その大島で作っている塩を作っている会社がありまして、そこから、にがりを分けてもらう。100%国産でやりたいという気持ちがあったんですね。

それから、なるべくというか、化学的に合成されたような凝固剤ですとか、そういった添加物を使わない。

それから、あまり大量生産をしたくないものですから、いわゆる手作りですか。一つずつ丁寧にということは心掛けて、それは変わってないですね。創業当初から。

ー創業38年の思い出をお聞かせください

そうですね。始めたのが、本当にバブルの時ですから。これは振り返ってみて、バブルというのはわかるわけですよね。その真っ只中にいるとわかりづらい、非常に。何でこんなに売れるんだろうという日が続いて。その時に例えばここも土地も購入して、工場らしきものも建てたのですが一番高い時ですね。そういう返済に追われるっていうようなことはあったのですが。何とかやってこられたのが、それだけ売り上げもあったということですかね。バブルの時代というのは。

ただそれがもう、1年2年3年、創業が1986年ですから、本当にバブルに入る時ですね。だんだんちょっと世の中おかしいという風になって。それが良い時、悪い時とおっしゃられるとそうですね。バブル以降は苦労の連続といえばそうかもしれないですけれども。

それより大きかったのは、お若い方はおわかりにならないかもしれないです。平成5年の大凶作、米が大冷害で。お米は外国から輸入しなければ無い、というような年がありました。あの時も大豆が本当にもうなくなって、一部の銘柄は2倍近くまでいったものですから。本当にあの時はちょっとこれはまずいなと思いましたけども。

何とか消費者の皆さんにも当然値上げもしたのですが、理解していただいて。あの時は正直まいりましたね。はい。あまりいい思い出ではないです。

 

ー事業承継を考え始めたのはいつ頃ですか?

私、子供が実は4人いるんですけども。誰も継がないということが、まず一つありました

それから、もう一つは3年程前なのですが、ここの事業性のローンがもう全部終わって完済できまして、おかげさまで。それで、ある程度の資産もでき、これだったら迷惑かけずに密かに黙って辞めることもできるかなという時代に入ってきましたので、そこで色々な方法を考え始めました。3年程前ですけどもね。

家族に子供に譲るのは無理だったものですから、一番手っ取り早いのは辞めてしまうこと。それからあと、それなりにお客様もついているので、もったいないなと思う反面、じゃあ誰が後を継いでくれるのだろうというところで。

たまたま、その頃からですからね、M&Aの会社さんからのDMですとかメール問い合わせをインターネットのですけどもいただくようになりまして。こういう方法もあるのかなって思い始めたのがやはり同じ頃ですかね。

ー事業承継通信社についてどのような印象をお持ちですか?

業界の中ではお安くやっていただけるということと、それから代表の方にお会いした時に、何か合うんじゃないかなっていう、それは実際本当の気持ちです。フランクに、ざっくばらんに色々お話を聞いていただけるのかなって印象を持ちましたので。この人だったらやっていけるのかなって、その時に何となく思いましたけど。

 

ー譲渡契約締結の瞬間のお気持ちを教えてください

やっぱり、ほっとしましたね。年齢の問題もありますので、昭和26年生まれですから、73歳になりますし。実際、自分が動けるのも何年かなと、友人や同業者の中でも亡くなった人達もおりますし、同世代なのですけどもね。そうすると自分が現役でできるっていうのは、本当にあと数年しかない訳ですから

そこに引き継いでくださるところが出てくるということは、もう正直ほっとしてますよね。これ以上のものはないんじゃないですか。

 

ー新体制での今後についてはどのようにお考えですか?

そうですね。やっぱり今指摘されてるのは、財政面の建て直しですね。これはもう事実ですので。

製品作りをやっぱりしていくのは、どうしても人ですから。その辺の、これからの手当てですね。それが一番大きな課題になってくると思います。

ー引退した後のご予定は?

今の日常をちょっとリセットして。自宅とここに通う日々が、もう実際は、以前は社員とかもいたものですから、適当に休みも取れたのですが。ここ10年ぐらいやってないものですから。まとまった休みを取って、出来れば東南アジアくらいぶらっと行ってみたいかな、そういう気持ちがございます。

 

ー後継者不在の経営者の方へ伝えたいことは?

30年、40年経ってみても、後継者がいないとずっと悩んでいて、このまま終わってしまうのかなっていう方は割と多いと思うんですよ。

でも実際、今結構M&Aとか事業承継という言葉を聞くと思うのですが。まずは地方自治体の窓口があれば、ご相談されるのも良いと思うし。とりあえずは聞いてみるのが一番だと思いますね。門前払いしないで

自分にとってどういうメリットがあって、デメリットもあるのであればそれをちゃんと把握して、後継者がいない、じゃあ廃業するかという道ともう一つ、「事業承継」という道を考えてみる価値はあると思います。

あとは、いい仲介会社さんに出会うということです。これに尽きると思います、はい。

後継者がおらず、会社の将来に対して大きな不安を抱えている経営者は数多くいます。事業の存続や承継のためには、M&Aアドバイザーや地域の支援機関など専門家に相談し、適切な戦略を見つけることが大切です。事業の価値を最大化し、将来の成功に向けて前進するために、ぜひM&A専門機関をご活用ください。


インタビュー・執筆:株式会社事業承継通信社

 

関連記事はこちら