【M&A事例】ソフトウェア開発「ときわコンピュータサービス」創業者 益子力長氏 インタビュー

昭和60年創業。創業から36年もの間、地元茨城にソフトウェア開発一筋で貢献し続けたときわコンピュータサービス株式会社の益子力長様にお話を伺いました。変化の激しいエンジニア業界を長きにわたり生き抜き、親族内での承継の検討など紆余曲折を経て、御年80歳にして、第三者への事業承継を実現しました。これまでの事業にかけた想いや承継するにあたっての検討経緯、譲渡先を選定した基準などを伺いました。

 

ーまずは、ときわコンピュータサービス株式会社を立ち上げた経緯から教えてください。

大手メーカーに就職し、エンジニアとして20年以上勤めていましたが、大きな組織だったので海外への転勤など地元を離れる可能性もありました。ただ自分としては「いつまでも地元で仕事をしたい・地元に貢献したい」という思いが強かった。それから「自分が好きな仕事をずっと続けたい」という気持ちもありましたから、45歳のときに独立することにしました。

特に同僚に声をかけることもなく、一人で会社を立ち上げて、自分が理想だと思えるエンジニアをゼロから育てたい、そんなことを考えていましたね。

自分自身、この道を選んで一筋で続けてこられたのは、コンピュータを使って開発する楽しさ、自分で考えたとおりに実現する楽しさ、お客さんの役に立つ楽しさがあったからで、人の育成にあたっては、何よりもその楽しさを伝えたかった。

 

 

益子様にとっての『理想のエンジニア』とはどのような姿なのでしょうか?

シンプルに、自分で考えて、考えたことを実現できるエンジニアです。

これをやって、と指示をされて言われたことをやる人は多くいますが、自ら考えて描けるエンジニアは当時はなかなかいなかった。

解決するために夜も寝ないで考えたり、夢にまで出てきて夢の中で解決したり、という苦しさもありながら、難題を乗り越えるといつもその先には喜んでくださるお客さんの姿がある。そういったことを繰り返すうちに、最初はベンダーをいくつも通してやっていたものが、最終的には直接契約できるようになりました。

結局お客さんもそういうエンジニアを求めているのだと思いますよ。

今までエンジニアを何十人も指導してきて、結局いまは4名しか残っていないけれど、理想に近いそれなりの教育が出来たんじゃないかと思います。

 

 

ー創業から30年以上、長い間続けるなかで辛かったことはどのようなことですか?

変化、ですかね。使用する言語の変化や、派遣でいえば法律の変化など、常に時代に合わせて新しいことに対応して挑戦しなければならなかったことです。

言語も新しいものに対応するために自分自身も勉強しましたし、従業員にも勉強させて生き残れるように会社自身も変化をしてきました。

途中で変化についていくのがしんどくなって辞めてしまった人もいたけれど、学習して変化についていく人の成長を見るのは楽しかったですね。

 

事業承継を考えたのはいつ頃ですか?

75歳を超えた頃、周りをみると同年代の経営者が突然病気になってしまったり、働けなくなったりしてドタバタしている姿を目にするようになりました。後継者がいない状態というのは、従業員にも顧客にも迷惑をかけるんだな、と実感し、自分自身の承継を考え始めましたね。

最後までついてきてくれた従業員4名を困らせるわけにはいかないですし、もちろんお客さんにも迷惑をかけられないですから。

そこから、息子に引き継ごうと思ってやってみました。しかし、今までソフト開発の指導しかしてこなかったですし、資金繰りなど会社経営の仕方なんて当然分からない。金融機関への対応や財務のことなど、システムを作ってテストして納品する、というエンジニアの仕事とは全然違います。さらに会社の経営は出来る出来ないという話だけでなく、本人の意志もありますから。最終的に、開発と経営の両方をやるのは無理だ、と言われてしまったんですね。

それは個人の特性でもあるから、やりたくないことをやる必要はない。だから、息子には開発に専念するという道を選択させました。

その後、また自分で代表職に戻ることになり、自治体に「経営を引き継げる人材を紹介する」というサービスがあったので相談しましたが、なかなかこちらが考える良い人材に出会えませんでした。地方だし、候補者の選択肢が限定されるというのはあったと思います。そこで、引き継ぎ先を広く集めてもらえるよう仲介会社に依頼することにしました。

 

ーそこで、事業承継通信社にご相談いただいたんですね。

いろいろ調べて手数料がなるべく負担にならないところを選択しました。大手だと手数料が高額で頼めるところが少なかったので。

そこから県外の会社を何社か紹介してもらい、面談をさせていただきながら、現在の会社に引き継がせてもらうことになりました。

 

 

ー譲渡先となる会社を選んだ理由はどんなところにありますか?

経営をする人間は、大局をみて判断できる人でなければいけないと思っています。枝葉の細かいところを見てゴチャゴチャと突っ込んでいくと、個別最適になって全体が壊れる。これはシステム構築も同じ。こういう枝葉のところに目が行ってしまう人はボスには向いていない。

今回の譲渡先は、まさに大局をみて判断できる、その通りの人でした。あとは、お互いの趣味が合ったというのもありますね。山が好きで、柔道をやってたり、野球をやってたり。そういう相性も大切ですから(笑)。

自分は開発に専念してきて、人を育てて、顧客も獲得して、という資源まで作りましたが、資源を利用してさらにお金を作る、事業を作るということまで出来ませんでした。だから、任せるにあたっては、資源をうまく活用してくれれば良いなと思いますね。

 

ー引退された後はどのようなことを考えていますか?

当分の間は、引継ぎをしっかりして、事業が成長するようにサポートしていきたいと思います。あとは、もう自分で開発もやらなくていいので、少し体を休めようと思います。相撲が好きだから国技館に観に行ったり、野球も好きだから甲子園にも行きたい。譲渡した事業の今後を楽しみにしながら、自分の人生も大いに楽しもうと思っています。

 


インタビュー・執筆:株式会社事業承継通信社  柳 隆之

 

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