【M&A事例】エステサロン「ナチュラーレ」創業者 脇本正昭氏 インタビュー

2021年2月、事業譲渡により主軸であるエステ事業を売却された脇本正昭氏にお話しを伺いました。23年前、当時まだ未成熟マーケットであったエステ業界に参入することを決め関西エリアで複数店舗を展開し、特にブライダルエステでは同地域でもトップクラスのシェアを誇る規模までに成長させました。起業から拡大の軌跡、今回の売却の決定に至るまでの背景等、時間軸に則って赤裸々に語っていただきました。

 

エステ界の常識を打ち破っての成長

ーまず、脇本さんの経歴を教えてください。

新卒で商社に入社し、オーストラリアで2年ほど働いていました。その後日本に帰ってきてから、別の商社に転職して水産物の輸入や工業製品の生産管理を中国を中心に行いました。その後2度目の転職をし、29歳ぐらいまでフィレンツェやミラノ、香港等で服やバッグなどを買付していました。

 

ーご自身で独立したのはその後ですか?

そうですね。厳密にいえば、商社にいながら事業プランは練っていました。と同時に、グロービスに行って経営を学んだり、セミナーなどに参加して人脈を作ったりと活動していました。

最初は、エステとは全然関係なく、勝手の分かる輸入卸業で会社を設立しました。ただ、やり始めてすぐに、取引先の業績不振など新しい事業を始める必要が出てきてしまいました。もう一度仕入先を探して、輸入卸や流通でやる道もありましたが、その業界に疲れた部分もあったんでしょうね。どうせなら新しいことをやってみようとエステを始めました。

 

ーこれまでとは関係の無い業種ですが、なぜエステだったのでしょう?

エステの “ビジネスモデル” と当時の “日本での浸透度” から行けると判断しました。ビジネスモデルでいえば、自分がやっていた服飾だと仕入れも大きいし、在庫も必要ですが、エステではその必要が全くない。その意味でも、初期投資が低く出来ますし、女性ニーズが高く、無くなることはないマーケット。しかも、化粧品など消耗品は文字通り消耗するのでリピートしやすいのではないか、という思いがありました。

また、ヨーロッパとの比較ですが、ヨーロッパではエステはすごくちゃんとした商売で日常に根付いていた。エステティシャンの立場も高い。ところが、日本では当時はまだ胡散臭さがあって、消費者クレームも多い時代。まだ未成熟なマーケットだったので、ギャップを埋めてちゃんとした商売をやればうまくいくのではないか、と思いましたね。

具体的には、『高額を一括で支払う』というのが当時の日本のエステ界の通常だったのを、『カジュアル・都度払い』という形にして。30分2,940円、美容室のような感覚でいけるサロンを作ったら間違いなくいけるだろうと。

 

関西圏で展開するエステサロン「ナチュラーレ」創業者の脇本氏

 

ー当時では考えられないですね。最初から順調でしたか?

いえ、行けると、間違いないと思ったのが間違いでした(笑)。オープンしたら人が来るものだと思っていましたが、全然来ない。窓の外を見たら、目の前の心斎橋の街にはたくさんの人がいるのに、店には来ない。

どうしようかと思って、取材をしてもらえないかと片っ端から雑誌に電話しました。ある雑誌で取り上げてもらったのをきっかけに、取材が殺到して。そのときは、新規で月300人ぐらい来ました。それからホットペッパーや広告媒体に掲載して安定的に集客できるようになりましたが30分2,940円で一回で終わり。人は来るけど赤字の状態でした。

店舗を広げないと採算合わないということに気付き、店舗展開を始めたわけです。

またその頃、たまたま事務員でブライダルプランナーもやっていた人がいて、ブライダル需要を見込んで、ブライダルエステを勧めてくれました。そこでブライダル用のプランを作って、ゼクシィに掲載したら、目的意識が高い人が集まるから成約率も高いし、単価も高い。2010年~2013年頃は売上が大爆発してました。本当に良い時期でした。

それが、ゼクシィのリニューアル等がマイナスに働き、集客は落ちてきました。また店舗拡大するなかで、人を採用しマネジメントすることが難しくなっていました。当時は特に人手不足でしたし、社内に他に任せられるような人材がいなかった。そうしたことが相まって、自分でやることの限界を感じてきました。2016年ぐらいからですかね、いろいろと考え始めました。

 

事業を終えるのは、起業の数十倍難しい

ー最初から売却ということを考えられたのですか?

モチベーションも低くなってしまっていたので、廃業も考えました。でも、いま働いている人や、サービスを受けてくれている顧客のことを考えると、廃業という選択肢は取れなかったですね。起業はある意味簡単ですが、廃業は数十倍難しい。人の雇用を断ち切る、顧客へのサービスを止める、という傷が出来る。終わらせるのは本当につらいですよ。

廃業は無いから、誰かに引継ぎたい。でも、引き継げる人が親族にも従業員にもいない。そうなると、第三者への譲渡(売却)を考えるより他なかったです。

 

ー売却しようとなってからはどう進められたのですか?

紹介で大手のMA仲介会社に入ってもらい始めました。オファーはいくつかありましたが、結果的には契約期間内で見つけることが出来ませんでした。

途中で、コロナもありましたし、足元の業績が悪化する中で思うような条件で進めることが難しかったです。条件面も下がるようになると手数料の部分も割に合わない感じなので、途中からは厳しくなりましたね。最終的には貴社で決めることが出来ました。

 

ー売却するにあたり後任者像というのはありましたか?

最初から具体的なイメージがあるわけではありませんでしたが、何名かの経営者と話す中で見えてきました。業界のことを分かっていて、大きな組織を動かした経験のある人は任せるには安心感あるな、とか。ただ、最終的には、若くて邁進するスピードやエネルギ―があり、業界の常識に染まっていない経営者へお任せすることにしました。内部に業界のことや技術に関して非常に強い人材もいますので、各論の部分でその人がフォローできるという思いもありました。

 

ー譲渡を終えて、率直にどんなお気持ちですか?また、今後についてはどうお考えですか?

寂しいのではないか、とかよく聞かれるのですが、正直なところ、肩の荷が降りたという思いが強いです。事業はもう他の人に任せてますし、それでうまく行ってくれたら嬉しい。起業してゼロから始めて、バリューを付けて売れたということの達成感が強いですね。

今後については、今は具体的に何かやっているわけではありませんが、何かしたくなるだろうなとは思います。もともと海外に行きたくて貿易業に携わっていたので、原点に立ち戻って海外で何かやりたいですね。コロナでいつになるか分かりませんが。

 

一番売りたくない時、が一番の売り時

ー事業譲渡を無事終えた今、同じような中小企業経営者に伝えたいメッセージはありますか?

一番売りたくない時、つまり、好調の時こそ売却を考えるべきだということですね。私もこのエステ事業に関しては思い浮かぶ最大売上まではいきました。決定率の高いブライダルエステに特化し、目標と決めていた売上を数年前に達成しました。自分はそれ以上事業を成長させる絵が描けなかったですし、モチベーションが湧いてこなかった。今改めて振り返って強く思います。そこが事業承継のベストタイミングでした。

どんな経営者でもどんな事業でも終わり方のイメージ、イグジット、事業承継は考えておくべきです。難しいとは思いますが、絶頂を迎えた時が事業承継のベストタイミングだと思います。

 

ー事業承継通信社を利用いただいて良かったところはどんなところでしたか?

第一に人柄です。 会って話してわかりますが親身になってくれるレベルが高いです。 その次にスピード感。最後に、正直に言うと成功報酬の安さですね。

リスクの部分では、大手と比較してのネットワークかなと思っていましたが、それは杞憂に終わりました。というのは、パフォーマンス、つまりコンタクト数、面談セット数は、大手と比較して圧倒的に高かったです。大手M&A会社も担当者は非常に優秀な人でしたが、社内では売り手サイド買い手サイドで担当が別になっていて、社内調整が必要ですし、大型案件も多数持っているのでうちの優先順位はどうしても下がると思うのです。

そういう意味では、事業承継通信社は最初から新規で開拓までやってくれるなどコミット度合いが高く取り組んでくれ、結果としてこのコロナ禍で承継先を探しまとめてくれたこと、本当に感謝しています。

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