
【M&A事例】130年続く山形の老舗印刷会社「寄清堂印刷」桑島周士氏インタビュー
ー寄清堂印刷の創業のきっかけをお聞かせください
「山形県印刷史」というものがあるのですが、それを紐解いていくと、ここ山形県の東置賜郡というところに郡役所がありまして、その郡役所に印刷機を入れたと。それが明治26年頃だったらしいんですが。
ところが、2年間ほど郡役所の職員が印刷機を回したけれど非常に効率が悪いとなって、民間に払い下げをして。その払い下げを受けたのがうちの祖父で、そこから印刷事業を始めたというわけです。
ですから明治28年、1895年の創業になりますね。

山形県の高畠町に本社・工場を構える寄清堂印刷
ー130年もの歴史があるんですね
そうですね。印刷技術でいうと、最初の頃は「活版印刷*」、あとは「石版印刷*」、それが始まりです。
先代までは活版印刷だけだったのですが、私が事業を継いだ時から「オフセット印刷*」じゃないとこれからは駄目だということで、オフセット印刷を始めました。もうこれは時代の流れですね。
「活版印刷」は、金属活字を組み、紙にインクを直接押し付ける方式で、大量印刷に向くも、活字の準備に時間がかかる。「石版印刷」は、油と水の反発を利用する平版印刷で、ポスターや美術印刷に活用されるが、大量印刷には不向き。現在主流の「オフセット印刷」は、ゴムブランケットを使用して、紙をインクに転写する方式で、高品質・高速印刷が可能。書籍や新聞、広告など幅広く活用される。
「グーテンベルク*」が活版印刷を開発してからもう数百年経ちますが、300年くらいはそんなに変わらずに活版印刷で来ていたんです。ですが、「オフセット印刷」になってからガラッと世の中が変わって。
そして今、印刷は「デジタル」の時代。このスパンが非常に短い。昔ながらの印刷屋は斜陽産業になってしまいましたね。昔は印刷産業の就業人口も多かったのですが、今はやはりガクッと減ってしまいました。
ドイツの印刷業者で、活版印刷術を開発した人物として知られる。彼が考案した金属活字を用いた印刷技術によって、本の大量生産が可能になり、聖書の印刷などを通じて知識の普及に大きく貢献。この技術革新は「印刷革命」と呼ばれ、のちの宗教改革にも影響を与えた。

進化する印刷技術に対応し、着実に事業を成長させてきた
ー仕事の姿勢についてお聞かせください
今までは田舎の、特に印刷屋なんていうものは「何?やってあげるぞ」みたいな、そんな雰囲気があったのですが、やはりそういうのでは駄目だと。出来るだけお客様のためにやれることはやっていこう、ということですね。
私が事業を引き継いでから、フルベッキの写真の上に『誠意』という言葉を書かせてもらっているのですが、お客様には一生懸命誠意を持って、お客様がいらっしゃったらちゃんと元気な声で「いらっしゃいませ」、お帰りになる時には「ありがとうございました」と言おうと。従業員にも頑張ってそういった指導をしてきました。
ー入社から社長就任までの経緯をお聞かせください
最初から親父の後を継ぐ、ということではなかったんです。
私が18歳の時、学校を出てすぐの頃、親父が東京の方の印刷会社を探してきて、そこで私に丁稚奉公をさせるつもりだったようなんですが、結局は自分の脇に居させた方が仕事が少しでも楽になると思ったんでしょうね。結局はどこにも行かずに、そのまま親父の元で印刷の仕事をしました。
平成2年に親父もお袋も他界したので、私が事業を引き継いで、法人にしました。その時から、私が代表ということですね。

祖父、父と受け継がれてきた歴史を振り返る桑島氏
ー今まで会社を経営してきて苦労したことはありますか?
やはりコロナですね。コロナの緊急事態宣言は、みんな人に集まらないでくれ、集めては駄目というお触れが出たのと一緒ですよね。
私ども印刷会社は、ポスターを作ったりチラシを作ったり、みんなに集まってくださいという仕事をしているのに、集めては駄目というお触れが出るともうどうにもならない。これはちょっとかなりきつかったですよ。
ーいつ頃から事業承継を考え始めたのですか?
ここ高畠に新しく工場を建てたのは20年前なんですが、それから15年が過ぎた頃にこの先のことを少し考え始めて。その時点で、周囲に引き継ぐ意思のある人がいなかったんですね。その頃からですね、M&Aというものを頭の中に思い描いてきたのは。
ー譲渡を決めるまでに不安だったことはありますか?
ありますよ。うちのお客様なのですが、M&Aをして、結局騙されちゃったと。ちょうど私どもの会社で事業承継のお話をいただいた時だったので、ちょっと待ってくれと、もうちょっと考えさせてくれと。
いろいろ柳さん(弊社担当者)も親身になって、何回もデータを送ってもらったり、見せてもらったりして。大丈夫な会社だということで、ようやく安心できたわけです。

誠意を持ってお客様のためにできる限りのことをしたいと語る桑島氏
ー株式譲渡最終契約が締結ができて、どのようなお気持ちですか?
判子を朱肉にポンポンとつけて、さあ押すという時に、本当に押していいのかなとは思いましたね。こんなことして先代に顔向けできるのだろうかと。そういう思いはやはりありました。
自分一人でこう流れてきたのではなく、祖父と親父という流れがあるわけで、簡単に判子を私一人で押していいのかと。一存でやったということですから。その想いはやはりちょっとありますね。
でも判子を押して、譲渡先の社長さんから花束をもらったら、なんだか嬉しい気持ちが沸き上がってきて。こういうことをしてくれる社長さんだったら、会社をお任せして間違いないなと、そこで思ったということです。
ー周囲からの反応はいかがですか?
周りには譲渡を決めてからでないと話をしない方がいいなと思って、事前に話をしていませんでした。ですが、周囲のみんなも、こういう世の中で私どもの印刷業ってのはこういうものだと分かってますからね。そういう意味で、誰からも反対は出ませんでした。良いタイミングだったのかなと思います。
社員のみんなには、私が譲渡先の社長に会社をお譲りするというのは、「後退」ではなくて「前進」なのだから、と話しました。良い方に巡り合ったなと思っています。
インタビュー・執筆:株式会社事業承継通信社