【事業承継事例】金属加工メーカーの親族内承継|株式会社丸菱製作所 代表 ⼾松裕登氏 インタビュー

今回お話を伺ったのは、愛知県春日井市に本社を置く、1952年設立の金属加工メーカー「株式会社丸菱製作所」の3代目社長、⼾松裕登氏です。もともとは承継意志のなかった戸松氏がなぜ承継をするにいたったか、また引き継いだ後におこなった改革についてお話を伺いました。

 

―まずはじめに、株式会社丸菱製作所の企業概要を教えてください。

主に鉄・鋼材を中心とした大型構造部品の製作と機械加工をおこなっており、エレベーターや産業機械向けの構造部品・フレーム等を主力事業としています。また、マリン分野の自社商品開発や、製造業向け技術ECプラットフォーム「ASNARO(アスナロ)」の運営も行っています。

愛知県春日井市に本社・工場を構える丸菱製作所

 

―最初は事業承継をするつもりはなかったようですが、なぜでしょうか?

末っ子長男として生まれ、いずれ家業を継ぐ存在として見られていましたが、幼い頃から「跡取り」と呼ばれることを好ましく感じていませんでした。周りから当たり前のように言われることへの単純な反抗心かもしれません。

また、父は仕事中心で家にいる時間が少なく、家業について詳しく知る機会があまりなかったんです。家庭内で家業が明るい将来像として語られる場面も少なく、製造業に対して前向きなイメージを持ちにくい環境でした。そのため、「いずれ社長になる」とは頭で理解していても、世代交代の時期や経営を引き受けるという現実感が持てませんでしたね。

 

―そんな中、大学卒業後に丸菱製作所に入社されたのはなぜですか?

大学時代は家業を継ぎたくないという意識だけは強く持っていたものの、それ以外に何をしたいのかが自分でも分からない状態でした。就職活動しながらも、自分が継がずに途切れてしまうことにも違和感があって。

なので、まずは一度会社をみてみようと、大学卒業後の2010年に入社しました。ただ、当初から事業承継を前提としていたわけではなく、まずは現場と顧客を知ることを目的に、製造現場や技術営業の業務に携わりました

大型の構造物を板金製缶から機械加工、塗装、組み立てまで一括して製作

 

―代表になる決意ができたきっかけがあれば教えてください。

転機となったのは2018年です。第一次トランプ政権のときで、米中貿易摩擦など製造業を取り巻く環境が再び不透明さを増す中で、「既存事業を粛々と続けるだけでは、この会社は将来にわたって成り立たないのではないか」という問題意識を強く持つようになりました。また、ちょうどその年に私自身に息子が生まれ、「この家業を、将来子どもに継がせたいと思えるだろうか」という問いが初めて自分自身に突きつけられたんです。それがきっかけで、事業承継が一気に“自分事”として立ち上がりました。

現実問題、最終的に息子が継ぐ継がないということはどうでもよいのですが、もし息子が継ぎたい、となったときに任せられる状態にしておきたい、と。これは子供でなくても一緒ですよね。息子が継がなくても、第三者が継ぎたいと思える会社であるかどうか

 

―ご自身の取組みについて教えてください。

入社してから従業員に受け入れてもらえるように、人がやりたくないことを自分がやると決めていました。従業員の退職によって浮いた仕事を自分が全部受け持つうちに、営業や生産管理、総務、人事、経営判断などほぼすべての業務を私一人で担う状態になってしまいました。その結果、組織としての役割分担や再現性を持たないことが大きな課題となっていました。また、特定の主要顧客への依存度が高く、受注量の増減による負荷の偏りも発生していました。

そこで、まずは「体制をつくること」から着手しました。採用活動を単なる人の補充ではなく、長期を見据えて組織を一緒に作る幹部の募集として、バックオフィスを担う右腕となる存在を採用、配置し「社長に聞かないと動けない」状態から組織として動ける体制へと変化させました。

バックオフィスの仕事を任せられることになったことで、新たな取引先との仕事を段階的に増やすこともでき、特定の取引先の依存度を下げることに成功しました。

自社のビジョン・ミッション・バリューも、大手メーカーについていくのではなく、自社の技術そのものを価値とするように再設定して、それを理解してくれる顧客と継続的な関係を築く営業姿勢へと転換を図りました。

 

ー変わった取組みとして製造業向け技術ECプラットフォーム「ASNARO(アスナロ)」の運営がありますが、内容と背景について教えてください。

ASNARO(アスナロ)」は、「加工技術のフリマサイト」という位置づけの事業です。

業界的に、繁忙期や閑散期の波がどこもあるので、それぞれの工場の空きリソースを共有し、空いている工程をピンポイントで受注できる仕組みを提供しています。自社工場が忙しい時は他に頼める、空いているときは頼まれるようにしたのです。町工場だと30名以下の規模が多く、単独で頼もうとしてwebで検索しても見つけづらいですし。現在では、中部地方を中心に町工場の約15%が登録するプラットフォームへと成長しています 。

加工技術のフリマサイト「ASNARO」https://asnaro.co.jp/

 

この事業を立ち上げた背景には、先ほども言った通り、特定顧客の商品(エレベーターの特注部品など)に依存したままでは、企業として自立することが難しいという強い危機感がありました。そこで、自社が本当に提供している価値は「製品」そのものではなく、それを可能にしている「加工技術や設備リソース」であり、それこそが商品であると再定義しました。

自立した経営を目指すにあたり、特定の新たな取引先を探して別の依存先をつくるのではなく、自社の技術そのものを商品として売買できる市場を自らつくりたいと考えたのです 。そこから、町工場自身が主体となって技術を流通させる仕組みとして「ASNARO」が生まれました 。

 

―全くの新規事業に対して先代や社内からの反対はありませんでしたか?

最初は反対していましたね。IT企業を作るために引き継いだのではないと何度も言われました。ただ、一方で今のままで明るい未来が見ているかというとそうでもない。結局、何かを変えなきゃいけないということで受け入れてもらえましたね。

先代は、自分自身で「分からない」という感覚を良いものとして捉えるところもありました。感覚的には飲み込めなくても、自分では思いつかない新しい視点として考えていたのだと思います。最後は、「分からないからといって潰すのは老害だな」とも言ってました。

先代の社長で、現在代表取締役会長を務める戸松精三氏とともに

 

―今後の事業で注力するポイントがあれば教えてください。

当然経営をしていると数字はついてくるわけですが、売上の規模を増やすというところから入りたくはないな、と考えています。

自社には工場があって、人がいて、そのほかのリソースがあってやれることは限られているので、そのなかで質を高めて、その分の価値を感じてもらえるようにしたい。技術力などの質にこだわり、結果的に儲かっているというのが理想です。売上優先で規模は大きくなったけど、薄利であったら従業員に申し訳ない。

だから、売上ではなく常に中身の改善を考えています。そして、そのための市場がASNAROだと思っています。技術の競争にもなりますからね。

 

―ご自身が事業承継をしてみて、事業承継における重要なポイントがあれば教えてください。

まず何より大切なのは、「家業に対して真摯に向き合うこと」だと思います。後継者は必ずしも社員から歓迎される存在ではないので、最初は現場の改善やトラブル対応など、社内で誰もやりたがらない仕事に真っ先に向き合い、「この人は逃げない」という認識を生むことが重要だと思います。

あとは、先代からやらされるのではなく、“自分事”としての意識ですね。創業者の祖父は当然、先代も「サプライヤーではなくメーカーになる!」というタイミングがありました。自分の場合は、時代の流れのなかでの製造業の危機感や息子が生まれたということがきっかけだったわけですが。社外に向けてでも、社内に向けてでも良いのですが、何かやりたい、という自分で決めたアクションが必要だと感じています。

 


インタビュー・執筆:株式会社事業承継通信社  柳 隆之

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