- 会社名
- 有限会社寄清堂印刷(山形県)
- 事業内容
- 印刷業
- M&A検討理由
- 後継者不在のため/地域と社員への責任感
- M&A実行後
- 事業承継後、経営者は現役を引退
- 譲渡先
- 同業他社
- 譲渡スキーム
- 株式譲渡
山形県高畠町で1895年(明治28年)に創業し、130年の歴史を紡いできた寄清堂印刷。活版からオフセット、そしてデジタル化という印刷の進化とともに、時代に合わせて着実な成長を遂げてきました。3代目社長・桑島様が語る、印刷業への誇りと第三者承継という大きな決断。その背景にあった葛藤と、未来への想いをご紹介します。
活版からデジタルへ。時代の変化を乗り越えた130年
創業のきっかけは、郡役所からの印刷機の払い下げ。活版印刷から始まった事業は、桑島様の代で大きな転換点を迎えます。業界の動向を見極め、「オフセット印刷でなければ生き残れない」と判断。先代までの技術を受け継ぎつつ、必要な変革を重ねてきました。
印刷業の変化は加速しており、今はデジタル化の波が主流です。就業人口も減少する中で、「昔ながらの印刷屋は斜陽産業になった」と語る桑島様。それでも、時代に即した技術を導入し、地元密着の姿勢を守り続けてきました。
誠意ある仕事で、地域に根ざす印刷会社を目指して
経営にあたり、桑島様が何よりも大切にしてきたのは「誠意」の姿勢。「田舎の印刷屋だからといっておごってはいけない。できる限りお客様のために尽くす」という信条を掲げ、社員への教育も徹底。来訪時の挨拶から日々の姿勢に至るまで、印刷物以上に“対応”という価値を届けてきました。
一時は印刷物の需要が回復し、順調な時期もありましたが、新型コロナによるイベント自粛は大きな打撃に。「人を集めてはならないという時代に、集客のための印刷物を作っている」という矛盾に直面したといいます。
後継者不在と決断の重み。「一存で押した判子」の意味
長く続けてきた印刷業を今後も守っていくには、どこかの段階で次の体制を考えなければならないー。そんな思いが少しずつ芽生え始めたのは、創業から100年を超え、なおも事業を続けていたある時期のことでした。
工場の新設から15年が経過し、将来を見つめ始めた桑島様。社内外に継ぐ意志を持つ人物はおらず、廃業の選択肢も視野に入れつつ、第三者への承継という可能性を模索し始めました。
一方で、知人がM&Aでトラブルに遭った話を耳にし、不安も募ります。そんな中、事業承継通信社と出会い、担当者と何度もやり取りを重ねた末、信頼できる譲渡先との契約に至りました。
「判子を押す瞬間、先代に顔向けできるか迷いもあった」と語る桑島様。しかし、譲渡先の社長から花束を手渡されたとき、「この方なら託せる」とあらためて実感。社員にも「後退ではなく前進」と伝え、事業を新たな体制に託しました。
経営者としての役目を終え、未来へのバトンをつなぐ
周囲への事前相談は行わず、契約後に譲渡を報告したという桑島様。驚きもありましたが、反対の声はなく、理解ある反応に安堵を覚えたといいます。
「私一人の会社ではない。祖父、父と続いてきた会社を、自分の代で終わらせたくなかった」ー そんな想いが、130年のバトンを次世代へとつなぐ大きな力になりました。
今後も会社は地元で印刷業を続け、社員もそのまま雇用継続の予定です。桑島様は、経営者としての役割を終え、穏やかな時間を過ごす準備を進めています。
インタビュー動画はこちら
桑島様ご本人が語る、創業から譲渡に至るまでの思いや背景について、動画でご覧いただけます。